鍵穴に鍵がスッとはささらない

 

 

◾️あらすじ
鍵穴に、なにかしらの事情から鍵がささらない三人それぞれの小言。

 

◾️はじめに
すっかり「小言」が聞こえてこない世の中になってしまったように思う。自己責任論なるものが、そうさせてしまっているのだろうか。わたしは、この社会の傾向を、ひどく憂えている。
「小言」と呼ばれてしまうそれは、聞き方次第では社会に対し緊張をもたらし得る。しかし、それが個人の問題だとして処理されてしまった場合、社会はどんどんと窮屈なものになっていく。生じた軋轢は自身で解消しなければならない、という価値観のもとで生きるのは、なんとも息苦しい。それでは、いつしか臨まず自室に鍵をかける、という選択肢をわたしは取ってしまう気がした。
だからわたし(たち)は、スッと言ってしまうことがなかなかできない「小言」と呼ばれてしまうそれを、いま一度、声をできるだけ大にして、YouTubeに並べてみることにした。
米川幸リオン

 

 

 

 

◾️おわりに
演劇でもない映画でもない鑑賞作品。
正直、話の内容はあまり入ってこない。だから面白くない、ということでもない。映っている人間が何をしたいのか分からない。だから面白くない、ということでもない。

作品の構成はある部屋に人間が突っ立っている、そこに彼女、彼らの部屋の鍵穴についてモノローグが被さっている。

何を言っているのか耳をすませばすますほど、何を言っているのか分からないし、映像に目を凝らせば凝らすほど何が映っているのか分からなくなる。

僕はそれが面白いと思った。

多くの演劇や映画で見られるような、大きな抑揚のついた声でもなければ、23分の作品の中に特筆すべき物語もない。

画面に写っているのは「存在」であり、スピーカーから聞こえてくるのも「存在」である。

ただそこに誰かが存在している。
そのことだけを見せられる、と言っても過言ではないが、最後の男が部屋を出て行き、ふすまがしめられた音を聞いた時、何かが終わり、何かが始まる。

その旅を、僕は「実存の旅」と鉤括弧をつけて、かっこつけて呼びたい。

「実存」を僕は個人が存在していること、と定義づける。
少し詩的に例えると、都会の夜、電車に乗ると、窓からはたくさんの建物が見え、建物から光が発せられるのが見える。その光の一つ一つに人間の活動がある。車窓から見たあの光たちから感じる人間の肌触り、それが僕がここで定義づける「実存」ということだ。

車窓からは人間の姿や、その声がはっきりとは映らないけれど、この作品はひたすらにそれを見せつけられる。

固定されたカメラがただ人間の姿を写す。語られる人間の声が音を響かせる。あえて物理的に言うと、電灯から人間にあたる光がカメラの方へと反射し、声という空気の振動が録音機へ届く。

我々にあたった光は宇宙へ反射し、その光の残像は宇宙の最果てへ旅を続けるという。それは僕たちが死んだ後も、何億年もの間、宇宙を彷徨うらしい。

そこまで話を広げるのは間違いなくこの作品に参加した一俳優としての買い被りだと自分でも感じるが、それでも届く人には届く、おもしろい作品になっていると思った。

ニュートリノの重さを観測するためには、スーパーカミオカンデという、とんでもない装置を開発しなければならなかった。
この作品は鑑賞者にある種の「スーパーカミオカンデ」を視聴者の中に要求する。でもそれはスーパーカミオカンデと違って科学の天才でなくても誰でも開発できる何かである。

その「何か」とは映像に映るものを凝視し、一つ一つの声に忍耐と好奇心をもって耳をすますことで、誰もが見つけることができる装置だ。

僕は「声」に関心を持っていかれた。僕は普段どんなふうに話していただろう。声がこう紡がれると、こういう違和感を抱くのな、声がこう紡がれると、心地よいのか、と声の響きが普段意識しているよりもずっと僕の心に影響を与えてくることを観測した。

そうか、この作品は人間の存在を観測する科学者の実験だったんだ。
仁田直人

◾️上映実績
YouTubeにて公開中( https://youtu.be/-VGDmowOqYs )

◾️スタッフ一覧
監督・脚本:米川幸リオン
撮影:鈴木睦海、仁田直人、米川幸リオン
編集:滝梓
出演:鈴木睦海、仁田直人、米川幸リオン