「伯楽就任式」の報告とスピーチ原稿

2021/5/1(土)に「伯楽就任式」をツイキャスで行いました。(こちらにログあります。)
鑑賞いただいたみなさま本当にありがとうございました。
反省点は10000個くらいあるのですが、それでも初めて「伯楽 -hakuraku-」の活動を開いて発信したことは僕たちにとってとても意味のあることでした。

以下、伯楽就任式で、伯楽に就任した時のスピーチの原稿を掲載します。

「どうも、この度、「伯楽」に就任することになりました、ニッタナオトです。
名誉ある称号をいただき、とても光栄に思います。
まず、このような茶番の司会を勤めてくれているリオン、滝ちゃん、他のみんな、そしてツイキャス視聴者のみなさん、ありがとうございます。
就任演説を始めるにあたって、なぜこのような茶番を決行するに至ったか、お話したいと思います。

「世界は人間なしに始まり、人間なしに終わるだろう」
これはレヴィ=ストロースの「野生の思考」という本の最も有名な部分です。

レヴィ=ストロースを起点に「構造主義」という考え方が世界に広まるわけですが、ここではそういった小難しい話ではなく、レヴィ=ストロースがアフリカの旅で見出した、どの文明にも共有している「構造」を発見したという事実に焦点を当てたいのです。なぜヨーロッパの民族も、アジアの民族も、アフリカの民族にも「近親相姦」というタブーがあるのだろうか、レヴィ=ストロースはそのことが気になって気になって仕方がありませんでした。そしてアフリカへ冒険の旅に出ました。
かつては暗黒大陸と呼ばれたアフリカにレヴィ=ストロースが足を踏み入れたのは、そこに最も原始的な民族が住んでいる、と考えたからだと思います。文明化されたヨーロッパとは対称的で、原始的な人間たちと私たちの共通点は何か、もしそれが見つかれば「真理」と呼ぶに値するなにかを見つけることができるのではないか、若かりし頃のレヴィ=ストロースはそんな風に考えていたのではないかと思います。

彼のアフリカでの体験は「野生の思考」を読んでもらうとして、私もレヴィ=ストロース青年のように昔から、なぜ全ての地球上の人間の集団は「死を弔う」という儀式を持つのだろうか、死を弔う儀式だけでなく、豊穣の儀、成人の儀、始業式、終業式、入学式、卒業式、など、我々はなぜこれほどもにも多くの「儀式」を持つのか、ということが疑問でした。

というのも、私は「理数科」の高校に入学するくらい、小さいころ計算が早く算数が得意で、文章が読めない、国語の苦手な子どもでした。高校当時は「合理的じゃないものは認めない」と入学式や始業式などのあらゆる無意味に感じられるものが嫌いでした。「これになんの意味があるん?」が当時の私の口癖で、教師からも親からも生意気なヤツとして認識されていました。高校3年の時にひょんなことから一年間アメリカに留学した僕は数理や科学の世界に閉じこもることをやめ、「世界」というものと対峙しなければならなくなりました。何年にもわたる、中高の義務教育による英語では「チーズバーガー」さえ伝わらなかったのです。私は周囲を観察し、今なにが起きていて、私はどうしなければならないのかを知るために全神経を集中しなければなりませんでした。

アメリカの高校にはじめて行った日、アメリカでは始業式はなく、「ガイダンス」が全校生徒に向けて行われたのですが、なにを言っているのか全く分かりません。ハゲで小太りの「アメリカの象徴」といいますか、アメリカのイメージ通りの校長先生に感動していると生徒たちはゾロゾロと立ち上がり、どこかへ行くのでした。各生徒たちはあるアルゴリズムによって、どこかの教室に割り振られているようです。なんのことか全くわからない僕は優しそうな先生を探し、チーズバーガーも言えない発音でどうすべきか必死に聞きました。なんとか自分の意図を伝え、教室がわかる頃には、僕とその先生以外の人は居なくなっていました。

アメリカで滞在していた時、ホストファミリーのお父さん、ホストダドのお兄さんが亡くなりました。当然私は会ったことはないのですが、そのときは「ファミリー」ですので、一緒に葬式に行きました。久々に集まった家族が再開し、聖書の言葉を読み、賛美歌を歌い、祈りを捧げました。故人との思い出がない僕は「これが欧米の葬式かぁ」と日本の葬式との違いを観察するだけでした。

日本でも一度だけ葬式に参列したことがあります。私が小学生のとき、一番家の近い友達Kくんのお母さんが亡くなりました。何度もKくんの家に遊びに行っていた私もお葬式に呼ばれることになりました。
私が覚えているのは、お経が響き渡る時間です。僕はそのとき、Kくんの誕生日をKくんの家で祝ったことを覚えています。僕が「お祝いをしよう!」と言ってKくんの家にプレゼントを持って行くと、Kのお母さんがとても嬉しそうに「今日はありがとうね」と言って、キッチンで楽しそうに料理の盛り付けを始めました。
お経が響き渡る時間、それぞれが故人との記憶を思い出していたのだと思います。

なぜ我々は葬式をするのでしょう。なぜ死を弔うことを始めたのでしょう。

なぜ賛美歌を歌ってお祈りを捧げたり、お経が唱えられるのを聞く時間が取り入れられることになったのでしょう。

その答えは歴史という闇に葬られたままで、科学的な証明をすることはできません。そしてこれからも得ることはできないでしょう。

しかし、現存する全ての集団が「儀式」を共有しているという事実から、儀式を持たない集団は生存することができなかった、と科学的に結論づけることができると思います。

あることについて、全員がそれぞれに想いを馳せること、それが集団を存続するために必要不可欠でことなのだと歴史が証明しています。

私がこの「伯楽就任式」という茶番を決行したのは「儀式」が自分にどのような作用をもたらすのかを知りたかったからです。

就任式というのは、就任することを観客に認知させ、就任する者にその役割を強く自覚させるための装置です。この茶番の意味は私が「伯楽」であると強く自覚し、それを他者に認知してもらうためのものです。

「伯楽」という言葉は8世紀〜9世紀を生きた、中国の詩人「韓愈」という人の文章に出てくる言葉です。

世に伯楽有り、然るのちに伯楽有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常に有らず。

と始まるこの文章は、千里の馬、つまり才能のある馬とその才能を見抜く伯楽についての話です。
才能は見出されなければ、あることにはならない。だから、才能よりも才能を見抜く人の方が大事じゃない?というそういうお話です。

高校の古典の授業でこれを知ったとき、「こいつ天才やん」と思い、「俺も伯楽でありたい」と思い生きてきました。
誰も気づいていない、誰かのいいところを見つける、なんて素晴らしいことだと思いませんか。

伯楽は馬の才能を見抜く人のことでした。ということは、今日伯楽に就任した私は馬の才能が見抜けます。ということは競馬でどの馬が勝つのかわかります。ということは万馬券を当てることができます。なので、近々競馬に行ってひと山当てそのお金で映画を撮ろうと思います。

はい。私はシステムというものが嫌いです。嫌いというか、身体に合いません。会社もシステムですし、社会もシステムです、もしかしたら家族、もシステムの側面を持っています。国家もシステムですね。システムを作り出したのは人間ですが、おもしろいことに、システムは完成されると、どうやら独自の生命活動をはじめるようになる、と言うことに最近気付きました。
人間によって、人間のために、作られたはずの「システム」が、人間を利用し始めます。

システムが人間を利用し始める、というのは実は村上春樹がエルサレムの演説で述べてたことです。「壁と卵」という素晴らしい演説です。

「世界は人間なしにはじまり、人間なしに終わるだろう」

そんな世界が来るとしたら、それはシステムに利用されていることに気付かず、システムに支配されてしまった時だと思います。

私はそのような未来をの到来を阻止すべく、
・全ての人間の才能を信じ、そしてそれを発見する存在
伯楽として、おもしろいことをものを作り、おもしろい企画を発信していこうと思います。

ご静聴ありがとうございました。」

仁田直人