「命の次に大事なヘッドフォン」 by リオン

「命の次に大事なヘッドフォン」

父親がハシゴから落ちて脚を大怪我をしたのはもう七年半も前の2013年の秋のことなのだが、当時京都で大学生活を送るために親元を離れ一人暮らしをしていた僕は、その情報を受け取るなり父の容態が心配ですぐに新幹線に飛び乗った、なんてことはなくて、今週は課題なりで忙しいから来週末か遅くとも再来週末にはお見舞いに行くよ、といった具合のドラ息子だった。お見舞い当日も心配してるフリをして「新幹線で行くからその交通費すいませんがお願いします」と言っては、鈍行での一番安い交通手段を取り、その差額分をポッケに入れていた。

そんな僕が、道中ソワソワなんてこともなく、ゆっくり走る電車に揺られながらいったい何を考えていたのかというと、その父親の事故の一ヶ月ほど前に、クラスメイトに「お前はクラスで一番ヘタ」と言われたことについてだった。こんな境遇ならば他にもっと考えることがあるでしょうよと今の僕は思うのだけれど、当時の僕はというと、自分のことでいっぱいいっぱいだったから、そんな状況の父親に対して想像力を働かせるだけの余裕を持ち合わせていなかった。特に理由もなく、いや、理由があるとすればただセンター試験を受けたくないという理由から受験の際に勉学の必要ない俳優コースを選んだ手前、俳優を志すためのモチヴェーションを保ち続けることに必死だった。生まれてから大学に入るまでの十八年間で俳優になりたいなんて思ったことなかった僕は、日々騙し騙し「演じる」ということについての思案を続けていたのだけれども、いずれも身になっている感覚を持てていなかった。そんなタイミングでのクラスメイトからのその一言は、かなり堪えるものがあった。え、なんで俳優になろうとしているんだろう。え、なんで俳優という仕事をしたいんだっけ。目前に控える一つ一つの学内公演に追われつつも、脳裏のかなりの面積を占めているその考えとの、向き合う仕方を見つけられずにいた。そんな最中での父親の大怪我だった。誠に勝手ながら、僕はお見舞いどころではなかった。病院へと向かうその時間は、僕にとってはお見舞いに向かうための道程というよりはどこか逃避行のようだった。現実から距離を取ることのできる時間、このままどこか遠くへ行ってしまいたい、そう思っていた。

しかし、お昼過ぎ、僕は病院についてしまった。人にそれも家族に会えるような心持ちでなかった僕は、院内を出来る限りのゆっくりした速度で歩いた。父親の病室はすでにA棟何号室と母親から聞いていたにも関わらずわざわざ人の列に並んで待ってフロントで尋ねてみたり、ちょっと探検したくなって遠回りのB棟を経由するルートを選んだり、途中でトイレに寄ってみたり、売店にも寄ってみたり。そこで僕はようやく自分がお見舞いの品を買っていないことに気がつく。しかしもう後の祭りだ。自分用の飲料水だけを買うことにする。130円。あれ、ちょっと高いのかな、病院の売店って。あ、そうだ、すいません。このグミもください。120円。え、これは同じ値段だ。じゃあこの水がちょっと良いやつってことなのかな。どうなんだろう。店員さんに聞いてみようかな。…いいか、それはどうでも。

そうこうして、ほぼ牛歩だった僕がようやく父親の病室に着いたのはもう昼下がりで、父親は待ちくたびれて眠っていた。眠っている父親の枕元には、お洒落なヘッドフォンとスケッチブックが三冊も置いてあった。二週間で三冊も書いたんだ、と驚きながら、眠っている父親を起こさないようにそっとスケッチブックを抜き取り、中を覗いてみる。そこにはびっちりとドローイングが描き込まれてあった。ギチギチにギプスを巻かれた脚と生のままの脚の比較だったり、ただ書き殴られてある線だったりデザイン案だったり。しかしドローイングにだって飽きたのかもしくはもう描くものがなくなってしまったのか、三冊目はそこまで筆が進んでいる様子ではないのが見てとれた。しばらくして父親が目を覚ました。しかし、そこには以前の父親のような活気はなく、頬もすっかり痩せこけてしまって余った皮が垂れ下がっていた。酷く老けて見える。そうか、お父さんって今年でもう六二歳なんだった。これまで特に気にしたこともなかった現実を突然認識させられる。え、この年齢で、この大怪我って、大丈夫なのか。あ、笑顔がぜんぜん笑顔になってないな。そんな父親はこれまで見たことがなかったので、今でもかなりショッキングな光景として覚えている。頭髪だって、これまでは教師という仕事柄いつも短く切り整えられていたのに、荒れ放題というか、お風呂に入れない且つそんな整えたって意味ないからってことで、数日間直されることのなかった寝癖たちが好き放題に伸びて、絡まって、そのまま頭皮の脂で固められていた。髭だって。そして極めつきだったのが、父親が布団をめくったことによって顕となった、数週間歩かなかっただけでこれほどまでに人間の筋肉とは簡単にも衰えてしまうのかと絶句するほどのげっそりした左脚だった。父親が、細くなったことによってギプスと脚に隙間ができてしまってそこから時々血の匂いがしてくるのが辛い、と言っていた。僕は早々に怪我のことから話題を変えようと、枕元に置かれてあるヘッドフォンのことについて尋ねようと思い、「それ格好いいね」と言った。続けて「おれも欲しいな」と。そんなのは口からのでまかせというか間に耐えられずというかなんというか、だったのだが、その一言を父親は真に受けてしまい、僕の顔をじっと見た後に少しの間を置いて、ギリギリの笑顔で「おれのモノは、お前のモノ」といつも物をくれる時に決まって言うそのセリフを言いながら、そのヘッドフォンを僕にくれた。う、これは悪いことしちゃったぞと思い、しかし実際のところちょっと欲しいとも思っており、僕は断りきることができずに受け取ってしまった。そしてすぐに、いたたまれなくなって、ほんとならその日中にはもう京都に戻るつもりだったのだが、明日また来るね、と言って、病室を去ってしまった。はぁ、結局このヘッドフォンについて尋ねそびれちゃった。実家に向かうバスの車内でそのヘッドフォンをネットで検索してみると一万八千円だった。うわ。装着して音楽を再生してみると、これまで聴くことのできなかった音までクリアに聴こえる。だめだ。どうしよう。今日くすねた新幹線代でも、これに見合う物を買って返すことができないや。どんどん沼に沈んでいく。しかし、もがくほど深みに嵌ることも知っているから、どうしようもない。どうしようともしかたがない。だから、どうしようともしない。

そんな泥だらけで鉛のように重くなった身体を引き摺って歩くようにして、どうにかこうにか実家に辿り着いた。そして、実家に着くなり、母親が僕を怒鳴る。「え?なんでアンタがこれ持ってんの!?」「え?あ、いや、違うねんて。おとんがくれてん。」「それはアンタにあげたんじゃなくって、お父さんにあげたヤツなん!」「入院中のあの人見てられんくって、私が買ってあげたヤツなん!」「なんでアンタはそんな自分勝手なん!?」「そりゃあの人はアンタには優しいんやから、そんな羨ましそうにしてたらハイってあげるに決まっとるやろ!」「アンタ信じられんくらいバカや!」「性根から腐っとるわ!」「なんや高い学費払ってるのに、そんな張り合いない顔してるし!」「高い学費払ってせっかく大学行かせとんのに、アンタもうちょっとなんとかならんの!?」「もうアンタのお先真っ暗やわ!」いつもならこのあたりで父親が止めに入ってくれるのだが、この日ばかりはそうとはいかず、僕も母親も言いたいだけ互いに言い合って、その後は寝るまで口を聞かなかった。

翌日、僕は再び病院にいる父親を訪れ、このヘッドフォンはやっぱり貰えませんということで返そうとしたのだが、父親は断固として受け取ろうとはしなかった。じゃあせめてもの替わりに、と僕がその時使っていたイヤフォンを置いていくことにした。まぁ僕がその時に持っていたヤツなんてすごく安物でせいぜい二千円程度の、父親がくれたそれとは全く釣り合うような代物ではないのだけれど。というか、そもそもそのイヤフォンだって親のお金で買ったモノなんだけど。でも、じゃあお礼に、と言って父親がオススメのロックンロールのアルバムをいくつか教えてくれた。そうして、僕はその日からロックンロールを聴くようになった。