才能について

才能について。

伯楽 -hakuraku-というこの広場の名前にも深く関係している、才能や個性について話そうと思う。

伯楽は漢語である。矛盾の「なんでも貫き通すことができる矛」と「何ものも貫けない盾」を売り文句にしていた商人に「その矛でその盾を突いたらどうなんるんですか」というエピソードがあるように、伯楽にもエピソードがある。簡単に説明すると、一日で千里を駆けることができる名馬はいつの時代にもいるが、それを見いだすことができる人間(伯楽)はいつの時代にいるわけではない。つまり、才能よりも才能を見抜き適切な場所に配置する人の方が重要である、という話だ。

もう一つ、才能について考えているといつも思い出す話がある。養老孟司の「遺言」の冒頭にあった「絶対音感」の話だ。どうやら全ての人間は「絶対音感」を持って生まれてきているらしい。ただ、絶対音感は言語を獲得していく過程でほとんどの人が失なってしまうのだそうだ。言語を獲得するということは、音の高さよりも構成する音の形にフォーカスをしなければならないからだ。なので「絶対音感」の人はそれを身につけたのではなく、「忘れなかった」のだ。というような話をしていた。獲得するのではなく、忘れてしまう、もう少し適切な形に言い換えると「埋もれてしまう」。才能も同じなのではないだろうか。

僕は2年間幼児教育に携わっていた。その二年間で才能や個性というものへの捉え方が完全に変わった。才能とは、「ある主体の蓄積してきた感覚が表出したも」のである。そしてそれは主体が成長していく過程、社会化していく過程で埋もれていってしまうものだ、と学んだ。生まれた子どもは社会化(啓蒙)される。なぜか。社会の一員になるための規範を身につけてもらわなければ「社会」というものが維持できなくなるからだ。この啓蒙の過程ではシステマチックに子どもたちにある規範を叩き込んで行く、そこで多くの才能の芽となるものが埋もれてしまう。

僕が一年目のとき、ある年中さんの授業で水性絵の具を使う授業があった。初めて絵の具を使う子がほとんどだ。先生がお手本に赤色の絵の具を指につけ、画用紙の上をなぞる。なんの意図もなくただなぞられた赤色の線に子どもたちは「わ~」と歓声をあげる。「青色の線が重なるとどうなるかな」と先生が聞く。知識のある一人が答える「紫!」。先生が青色の絵の具を指につけ、またなぞる。もちろん、僕たちが知るように赤色と重なった部分は紫になる。先ほど「紫!」とドヤ顔でこたえた子どもも、「うわ~!」とキラキラした表情で声をあげる。知識など、体験の前ではなんの価値もなさない。子どもたちは早くやりたい!とそわそわしながら訴えかける。先生が画用紙を配り、子どもたちは思い思いに画用紙をいろんな色で賑やかにさせていく。多くの子の画用紙は色々な色を混ぜまくり、茶色のように濁色になる。僕はあまりに楽しそうに絵の具と遊ぶ子どもたちに「何描いてるの?」「これは何?」など声をうわづらせて聞いて回った。しかし、子どもたちは1枚目を書き終えると「おしまーい」と言うのだった。「えーもうやめちゃうの?」と聞いても「終わり~」と言いながら子どもたちは手を洗いに洗面所へ向かっている。授業が終わり、先輩の先生に「子どもたちが絵を描きたくなくなったのわかった?」と聞かれた。「はい」と答えると「なんでだと思う?」と聞かれた。全くわからなかった。「なんでですか?」と聞き返すと、「直人が『何描いてるの』って聞いたからだよ」と先輩は答えた。僕はまだよくわからなかった。「どういうことですか。」先輩は当たり前のように淡々と応えた、「何描いてるの」と聞くということは、「何かを描かなければならない」という価値観の押し付けなんだよ。この時僕はハンマーで殴られたような、いや、それに加えて背後から刺されたような、とにかく身体的に、強く鋭い衝撃を不意に食らわせられた気分になった。僕たち大人が、悪意なくどれほどの才能の芽を摘んでいるのだろう、その罪と呼ぶべきか、業と呼ぶべき何かの果てしなさに対する痛みだった。

4歳の子どもには「何かを描く」という意識はない。4歳の子どもが絵の具で遊ぶのは、ただ色の変化を楽しむためなんだよ。だから「俺、ここ好きだな~」「ここ素敵だね~」と伝えてあげることが大切なんだよ、先輩はそう締めくくった。

才能とは、主体の蓄積した感覚が表出してしまったものである。子どもは4歳ですでにそれぞれの色の遊び方を獲得している。そこに彼らの才能が表出しているのだ。ある女の子は絵の具を指につけて、なぞるのではなく、画用紙の上で人差し指を垂らし、絵の具のしずくが落ちるのをじっと待っていた。一つしずくが垂れると、別の色の絵の具を指につけ、何か大切なボタンを押すかのように、また画用紙の上で指を垂らす。二つ目のしずくが画用紙の上に落ち、一つ目の色と混ざると目を見開き、色が混ざっていく過程をじっと見つめていた。この時、全ての時間が彼女の瞳に凝縮しているように感じた。僕は無性に祈りたくなったのを覚えている。子どもが何かを発見した瞬間を目撃することはこの世で最も美しい瞬間の一つであると、この時知った。

僕は伯楽に憧れている。全ての人間の中にある埋もれた才能を見出せる存在に憧れている。全ての人間に、代替不能なその人にしかない才能がある、そう断言したいと思う。これを読んでいるあなたにも、必ずある。しかし、それは埋もれてしまっているかもしれない。「才能」なんて「個性」なんてもう聞き飽きたわって人や、才能なんてどうでもいい、と思っている人もいるかもしれない。でもそんなのは僕の知ったことではない。あなたには、あなたにしかない何かがある。あなたは唯一無二なのだ、と一人宣言したいためだけに僕はこの話を始めたのだ。

  今回はかたっ苦しい話をしてしまいました。 来週はリオン君の文章を掲載します。ではでは、また来週。