vol.2 コンビニ&シガレット

※今回は映画の企画書です

コンビニ&シガレット

◾️企画概要
本作品はコンビニの喫煙所を舞台に、初めましての人と話したり、友人と戯れる短編をつなげたオムニバスの映画。ジムジャーッムッシュのコーヒー&シガレッツへのオマージュ作品になります。だからと言って、ジャームッシュのような映画を撮りたい、というわけでは全くなく、コンビニという資本主義の末端神経のような場所と「喫煙所」という場所の持つ特殊性を舞台に、会話が展開されて行くのは面白そう、と考えたからです。

◾️コンビニの喫煙所が持つ特殊性。(企画背景)

僕が卒論を書くために大学に行っていた時のこと、駅から30分ほどまでの大学への道にコンビニがありました。だいたいそこに寄ってタバコを吸い、大学に向かっていました。ある夜のこと、僕がタバコを吹かせていると、マウンテンバイクに乗った男の人がコンビニにやってきました。山の帰りかな、と思わせる格好とリュックサック。コンビニで買い物を済まし出てきた彼は一平ちゃんが透けたビニール袋を持っていました。こちらを一瞥すると、喫煙所にやってきました。彼がタバコに火をつけます。
「山の帰りですか。」
「あ、山というか洞窟に」
「え」
なんていう会話は起きず、会話の妄想をしながらタバコを吸いおえ、その人に軽く会釈をして大学に向かったのでした。
あの時、話しかけていたらどんな話が聞けたのだろう。その疑問がずっと頭から離れなくてこの企画を思いつきました。
こういうと変なのですが、あの時、あのお兄さんは僕がタバコを吸っていなければ、わざわざタバコを吸わなかったのではないか、と思うのです。僕がタバコを吸っていた、それを見てタバコを吸いたくなった、もしかしたら少し話したかった、のかもしれません。本当のことはわかりませんが、なんとなくそんな気がするのです。光のもとに虫が寄ってくるように、僕や彼は夜の喫煙所に吸い寄せられている気がするのです。

友人のリオン君に「コンビニ&シガレット」の脚本を送ると「喫煙所での会話って一番自由だよね」と感想をもらいました。一期一会のその場きりのコミュニケーションは確かに、普段の人間関係から独立していて、会話の生まれる可能性のある稀有な場所だと改めて感じました。それは台詞を考える上ですごく励みになる視点だったのでした。

◾️作品について
作るからには現状の自分が考える「演劇(技)」についての考察と「映画」についての考察を踏まえた上で、自分が最高に面白いと思うものを作りたいと考えています。

【演技について】
演技とは何か。そんなのは語りつくされてきたことですが、今回やりたいのは僕が演技をしている現場で言われ続けてきた。「普段のにっちゃんが舞台に乗るだけでいい」という言葉を核に添えます。つまり、普段の自分をできるだけそのまま映像の中に閉じ込める。それは他の出演者の素の魅力が映る、というようにしたいと考えています。そのために、出演者自身も知らなかった、自分の一面が見えるように書こう、と考えています。しかし、やはり「作品」として鑑賞物として面白いものにするにはフィクションの要素も必要と考えています。コンビニの喫煙所でありそうでない、「映画的な」出来事を起こし、会話と対話を生み出します。

【台詞について】
当たり前ですが、脚本の台詞は「口語体」で書きます。小説は文語体です。小説に出てくる台詞も多くは「文語体」だと僕は思っています。先日、安部公房の「壁」を読んでいたんですけど、そこにこんな台詞がありました。「一体君はここに何しにやってきたんだ。最初からここは僕の領分だ。君なんかの出しゃばる場所じゃない。(中略)ありていに言って、ぼくは君のような人間と関係していることが恥ずかしくてならないんだ。」比較的冒頭の名刺が告げる台詞です。日本人はこんな風にあまり喋りません。じゃあだからこの文章はダメだ、とかではなく、むしろめちゃくちゃ面白いのです、この本。
では、現代口語演劇といえば、青年団という劇団があるのですが、この劇団の「カカグするココロ」を抜粋してみます。

戸田 僕もやろうかな。
竹田 何を?
戸田 実験
竹田 それ、イヤミ?
戸田 え、どうして?
竹田 だって、もうデータとれたんでしょう。
戸田 いや、まぁ、とれたけど。
竹田 ねぇ。
清水 うん。
戸田 でも、みんなでやったほうが楽しそうじゃない。
清水 ・・・全然。

私は文学的な台詞と、現代口語のセリフを意識的に混ぜてみるとどうなるのか、ということをやってみたいと思っています。 というか、そんなことはどの物書きも意識的にやっているのかなとは思うのですが、今回初めて演技をする人のためにもこのような項目を設けました。

【映画とは何か】
映画とは何か。僕はこう言い切りろうと思います。「記録である」と。映画がカメラ、つまり「映像と音声を記録する」機能を持ったテクノロジーである以上、そこに映るものはすべて記録です。物語は何だ、ドラマは何だ、の前に「記録された映像」です。この記録された映像であるということを常に意識しながら、「映画」という作品を撮ろうと思います。それはみなさんにも「演じてもらう」という意識を低くしてもらい、魅力的な素の自分を発見してもらう意識の方向づけができたらなと思っています。
本作品には劇的なドラマはありません。ほとんどが僕が体験した会話と対話をベースにしています。それが映画や演劇の持つリアリティにどこまで迫れるのか、僕なりの実験です。

◾️撮影環境について
以上を踏まえた上で、私が理想とする空間の話をします。稽古の空間、撮影現場の空間、そこでどれだけ豊かな声を響かせられるかが面白い瞬間を記録することに必須だと考えています。だから、顔合わせを丁寧に行い、稽古も穏やかに、かつ適度な緊張感を持って行っていきたいと考えています。出演者やスタッフはぼくの友人がほとんどなのですが、そこに適度な緊張感を持ち込むために、初めての演技経験者、大尊敬する先輩、初めて共演する役者、などにオファーしました。そして「セリフは覚えて来なければならない」という役者の前提を壊したい理由もありました。このプレッシャーを排除し、そのぶん長い稽古をすることで、演じることへのプレッシャー(主に俳優でない人たちのために)を排除することが狙いです。

◾️稽古と撮影について
基本的にオンラインで行います。撮影前日、もしくは当日に現場でのリハーサルを行い、撮影に入ります。
オンライン稽古には出演しない「触媒」を参加させます。
僕が脚本、監督、出演を担い、処理しなければならない意識、情報が多いこと、二人芝居が多いこと、僕の友人が多いということで、稽古に適度な緊張感と新鮮な視点を持ち込むためにオンライン稽古に「セリフを読まない触媒」を置きます。実質、監督の視点で見れる人です。僕がその人の視線に同期しようとする作業で「監督」の役割の部分と俳優の役割の部分を分担したいと考えています。

◾️ちょっとだけ具体的な映画の仕掛けについて
「世界」に開かれた映画にしたい。
国内上映だけを意識するのではなく、海外の映画好きが見ても面白いための仕掛け、を作りたいと考えたいです。以下箇条書きにしています。
・まず、シンプルなんですが、「マスク」です。喫煙所はマスクを外さないといけません。当たり前ですね、タバコを吸いますから。本編、7作品を収録する予定ですので、最低でも7回x登場人物の数だけ、マスクの着脱が行われます。それってすごく象徴的な行為だと思ったんです。本編ではいわゆる「コロナ」の話は一切しません。あえてしてません。
・震災大国日本
この前の3月11日で震災から10年を迎えました。たまたまその日の14時45分、僕はバイト先の喫煙所にいました。喫煙所の隣の休憩室からテレビの音が漏れていて、「震災から10年」とナレーションの声が聞こえきました。「あ、」と思い、僕はしばらく目を閉じ黙祷をしました。するとバイト先の偉い人が来たので「震災から10年ですね」と声をかけると、「そうかぁ」と言って、「俺何してたっけなぁ」と話しはじめました。一通り終わると「阪神淡路は生まれてるんやっけ?」っと聞かれ「あ、僕0歳ですね」と答えると「俺17やってんけどさ。えぐかった」と当時のことを話しはじめました。がれきの下から聞こえるうめき声、どう頑張っても動かないがれきを動かそうとするが、ピクリともしない。臭くなっていく町。略奪もあった、と。それを悲しい出来事として話す訳でもなく、「こんなことがあった」というただの伝聞の感じがすごく心地よかった、というと変ですが、「いい話」にしていないトーンが良かったのです。
この時の会話を描くだけで、それは「日本」のある側面を描けると思ったのです。それは災害が多い、ということではなくて、震災の記憶を語る、というのって結構特殊なことだと思うんですけど、関東大震災、阪神淡路大震災、東日本大震災、新潟中越地震、熊本での地震。僕が知っているだけでも、これだけの震災があるわけですけど、これは地震だけですけど、水害とか、台風とか、他にもいろいろあります。何かしらの災害の被害を経験している、というこの特殊な事実を普通に話してるというのを描く、というのは面白いのではないか、と思っています。
・在日とハーフ
日本は単一民族国家の側面が強いです。2014年の調査では1,67%が外国人だそうです。(https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/sentaku/s3_1_9.html)
僕の周りには「在日韓国人」とカテゴライズされる友達や「ハーフ」とカテゴライズされる友達がいます。うーん、なんか書いてて気持ち悪いですが、一旦進ませてください。具体的にはスンギというリオンっていうただの最高の友達なので、「カテゴライズ」という言葉使いで表現するのは気持ち悪いのですが。シンプルに彼らとの会話での話をセリフにしただけなんですけど、すごくリベラルな観点から見ても面白いと思っています。在日韓国人には選挙権がない、ハーフ顔なのに英語が話せない。彼らの受けてきた偏見を「偏見」としてではなく、日常の「こんなことがあった」で、笑うって、そういうふうに描きたいと思い、「初めまして」を書きました。

以上の3つがなんだろう、作品を「開く」ための仕掛け、って呼べばいいんでしょうか、を意識して書きました。つまりは7本の「仁」を中心に展開されるくだらない会話を連続してみると日本という「社会」が浮かび上がってくる。そんなことができたら面白いな、と、そういうことです。劇的なドラマではなくて、小さな小さなドラマのような積み重なりを楽しむ、そういう視点で楽しめるような作品にしたい、と、そう今は考えています。