「伯楽 -hakuraku- とは」について

「伯楽 -hakuraku-ってなに?」
僕もうまく言葉にできてないと感じています。

伯楽 -hakuraku- は人であり、広場であり、集団であり、と色々な側面があるのですが、”伯楽 -hakuraku- “とはのページでは「広場」の側面に焦点を当てて書いています。
毎日同じ人が集まって何かを作っていれば、それは「集団」ということもできると思うのですが、「集団」と表現すると、集団に理念があり、活動している、というニュアンスになってしまいます。僕たちは個別に活躍する芸術家、アーティスト、エンジニア、です。ただ、僕が「こんなことしたらおもろない?」と毎日話してたら「やろうやろう」となっただけで、そこには企業やNPOなどの集団が持つビジョンや理念などを共にし活動しているわけではありません。映画と同じようにある作品を作ると、そのチームは解散します。そしてまた新たな企画が立ち上がり、別のチームができます。同じ人もいれば新たな人もチームにいる。でも、僕は毎日ここの広場の住人たちに色々なアイディアを話すことによって、想像力を膨らましています。

仁田直人という「伯楽」を面白がってくれる人たちが毎日集まる場所、それがこのホームページ”伯楽 -hakuraku-“です。

最後に
この広場を「世界で最も公共的な空間」にできないか、と画策しています。 これはそのうち「今週のシャララ」の企画で発表しようと思っているのですが、ちょっと言いたいので触りだけ言わせてください。 政治哲学を学んでいる時のことでした。私たちには何人からも侵害されない人権があり、社会に参加する中でルール(法律)を守らなければならない。そうすることでサービス(医療、福祉、教育)を享受することができる、という話でした。僕はこの時思ったのです、社会に参加するって同意した覚えないねんけどなぁ。
僕たちは社会に強制的に参加させられます。日本に生まれたら基本的には日本人、として戸籍が登録され(もちろん、外国を親に持つ人たちなど)多くの例外はあります。僕はそのことについてめちゃくちゃ引っかかるのです。「だったら国を出て行けばいいじゃないか」とか言われそうですけど、あ、いや別に日本社会に参加していることは別にいいのです。ただ、「勝手に参加させられちゃったよ」という引っかかりはある、っていうそれだけのことなんです。じゃあ、自分で参加するかどうか決めることのできる「社会」というものを作ってみよう、と思いました。それが「伯楽 -hakuraku-」です、となればおもろいな、と「広場」とこのホームページのことを定義つけていることとの親和性も高い。じゃあそれをどう表現していいくか、っていうのは「今週のシャララ」の更新をお待ちください。

伯楽 -hakuraku- でこれからどんどん面白いことが起きるので楽しみにしてください。