今週のシャララ

 

ここ数年の年末は、伯楽-hakuraku-言い出しっぺのナオトと映画美学校で同期だったカズと僕の三人で、青春18切符を割り勘で購入して、のんびり鈍行で帰省するのが恒例行事となっていた。僕の出身は三重県鈴鹿市で、東京からは太平洋に沿うようにして、あっちの窓からは海、こっちの窓からは山といった感じで、景色を楽しみながらわいわい移動する。そして三重県に入る頃にはもうすっかり夜になっていて、四日市の工業地帯が妖しく光っているの横目に通過し、旅程を終える。

僕の実家のすぐ裏手にも小さな山があって、その山を越えればそこには海が広がっている。それも徒歩だいたい15分程度の距離間にあって、散歩コースとしてそれはこの上なく最適だった。幼い頃、僕はなにかあれば(そしてなにもない時ほど)その道をよく歩いていた。山への入り口から斜面に沿ってうねうねと斜め上に伸びていく山道を横に外れ獣道を少し進むと、その斜面の一部を掘ったかたちでそこにひっそりと穴があることも僕は知っていた。その穴の大きさは、それほど大きいものではなく、それを初めて見つけた時はなにか小動物の巣なんじゃないかと思ったほどで、小学校3年生だった僕が少し身をかがめなければ入れない程度の、それは小さい穴だった。でも僕がその穴に入ったことはなかった。というよりも入れなかった。その頃から僕はよく言えば慎重、悪く言えば臆病だった。部活動のバスケットで大きな怪我をすることはなかったけど、チームを救うような派手なプレイはできなかったし、凍った河の上ではしゃぐようなことはしなかったけど、その時撮った記念写真に僕は写っていなかった。そんな具合の僕だったから、ずっとその穴に入ってみたいと思っていたものの、いざその穴の前に立ち、身をかがめ、呼吸を整えようと深呼吸をすると、いつものように息を吸うことができず、落ち着いて息を吸おう息を吸おうと気付けば過呼吸気味となっていて、あげくパニック状態、その場からダッシュで逃げ帰ってはおばあちゃんに泣きつく、というのを繰り返していた。だからその穴の中が実際どんなんだったのか、僕が知ることはなかった。しかし、その穴の引力のようなものに引っ張られて(いる気がして)いた僕は、何度目かの入れないとなった日の翌日に、その穴がある場所へとおばあちゃんを連れて行った。おばあちゃんはその穴を見ると、「リオンや、これは防空壕や」と言った。小学校低学年だった僕は防空壕がなんなのかもちろん知らなかったので、ボウクウゴウ?と聞き返すと、「空から爆弾が降ってきた時にみんなが逃げる場所やに」とおばあちゃんは言った。それを聞いても僕はピンとこなかった。だって“空から爆弾が降ってきた時”なんて想像することができなかったから。そんな様子の僕を見て、おばあちゃんは続けて「戦争の時のもんや。やでズカズカ入ってったらアカンでな」と言った。そう言われてはじめて、僕は穴の中の様子を想像することができた。それは、穴の最深部でポツンとひとり壁に背をもたせかけてガイコツが座っているという情景だった。それ以降、僕はその穴に近づこうとはしなくなった。

その防空壕があった場所は、今は切り崩され、そこには学生寮が建っている。
穴の奥にガイコツがあるわけはない、なんてことはこの年齢ともなると頭ではわかっているのだが、それでも一緒に埋め立てられてしまったんじゃないかと、実家に帰省するたび考えてしまう。今年はコロナ禍ということで帰省はできなかったのだが、僕はこれまでと同じようにその穴のことを思いだしている。そして、たとえまだその穴が残っていたとしても、入ることはできないだろうなと考えている。