父親がイギリス人、母親が日本人のニッポン人。

伯楽-hakuraku-の活動が始まってなんだかんだでもう2年半ほど経っているわけなんだけれども、テイタラクかまして、こうやって文章を綴らせていただくのは今回が初めてとなります。どうも、米川幸リオンです。

父親がイギリス人、母親が日本人のニッポン人。
プロフィールを載せる機会がある度、伯楽-hakuraku-言い出しっぺのナオトが考えてくれたこのフレーズを使わせてもらっている。
このフレーズが持つ、僕自身と日本との距離感が気に入っている。言い得て妙。やっぱり「ハーフ」ということで、昔からそれなりに日本人では経験し得ないことを経験してきたわけだから。
そしてつい先日も、そのことを起因とした驚きの経験があった。

昨今の新型コロナウイルス問題の渦中では、職業柄外出することはなるべく控え、すっかり籠城生活を送っていた。ここ数年は国内外を飛び回っていたこともあって、やはり生活は一変した。
しかし、そうともなると人間たくましくなるもんで、いままでは〈家は寝られればそれでいい〉ぐらいの感覚だったものが、より快適な暮らしを求めしっかり「おうち時間」をデザインし始めていた。読書の時間はベランダで日光を浴びながら読めるようにとアウトドアチェアを買ったり、コーヒーは香りをより楽しむため挽いて飲むようになったり、音楽はより充実した鑑賞体験を得られるようにとレコードプレーヤーを買ったり。ほかにもいろいろ環境を整えたことによって、「おうち時間」は現状できる範囲のベストコンディションにまでもっていくことができた。おかげでストレスをそれほど感じることもなく、このたったワンルームも文字通り「城」と成っていった。唯一のストレスといえば、たびたび送られてくる両親からの心配メールぐらいなだけで、しかしそれだって離れて東京で暮らす子を想う親の気持ちを想像すれば理解に難くないわけなので、やはりストレスは微々たるもので済んでいた。
そんな快適な籠城生活を送っていたある日、いつものように父親からの心配メールが届いたので、近況報告も兼ね「最近レコードプレーヤーを買ったんだ。ニューライフだよ」と返信をした。僕の父親は、大の音楽好きで、1988年に日本に来るまでをずっとイギリスで暮らしており、激動だったUK(のみならず世界中の)ミュージックシーンを肌で感じてきた、まさに生き証人だ。そんな父親との音楽談義は、帰省の楽しみのひとつにもなっている。ということもあって僕自身も、レコードプレーヤー購入の旨の報告ができることを心待ちにしていた。そして送るや否や、「ヘイッ!ラッキーボーイよ、我が家にはファンタスティックなレコードがたっくさんあるから、すぐそっちに送るよ!」と、ハイテンションでそんなニュアンスの文面が英語で送られてきた。胸が高鳴った。さらに「これは我が家の家宝だ。僕が死んだ時、お葬式ではこのアルバムをかけてくれ」と父親から言伝を預かっているCaptain Beefheartの”Clear Spot”も同梱しておいてくれるという。僕は心(と実際には身体も)躍らせて、それらが届くのをいまかいまかと待った。
そして1週間ほど経ったころ、ようやく玄関のチャイムが鳴った。このチャイムによって僕の胸の高鳴りは最高潮に達した。突然の息切れ。でもそんなことにかまっていられるもんか、僕は玄関までのせいぜい10歩の距離も駆け足だった。サンダルも履かず裸足のまま、鍵を開けドアノブに手をかけ玄関の扉を開けた。そこには配達員のお兄さんが立っていた。30歳前後だろうか、僕と同世代だ。額はすこし汗ばんでいて胸ポケットからは乱雑に突っ込まれたハンカチがはみ出ていた。そして段ボールを重たそうに一箱かかえていた。フラジャイルのシールが貼られているその段ボールを丁寧にしかし汗ばみながら重たそうにしてかかえている姿に、僕はもう感動してしまっていた。そしてお兄さんが「この名前の方は、こちらのお家にいらっしゃいますか?」と聞いてきた。僕は「え?」と思った。というかたぶん声も出ていた。なんか変な聞き方だな。「ええっと、この名前の方…って…」なんでそんな歯切れが悪いんだ。配達員のお兄さんはそういって顎を巧みにつかって段ボールの上面に貼られてある宅急便の伝票の名前の部分を指(じゃなくて顎だけど)差した。「え?え?」と僕は声を出してしまいながら、指差れたポイントを見た。そこには「リヨンアズサ」と書かれてあった。
アズサとは同棲している恋人の名前だ。リヨンは、僕だ。僕はリオンだが、リヨンは僕だ。
僕がここで気になったことはふたつある。ひとつ目はやはり「リヨン」だ。お父さん、自分で名付けた息子のおれの日本語の綴り、間違えて覚えてたんだ。それはもちろんびっくりしたけど、まあ僕がaとeのスペルミスしちゃうのと同じぐらいの間違いだよね、と思うことができたからいいとして、ふたつ目の「リヨンアズサ」についてはどうだろうか。お父さん、「ヨネカワコウリオン」って日本語も書けないんだ。でも伝票に「リヨン」だけじゃたぶんダメだろうということはわかっていて、しかしかといっていまさらお母さんに「ヨネカワコウリオンってどうやって書くの?」なんて聞くことはできないから、「リヨンアズサ」にしたんだ。じゃあお父さん、もしかしたら日本に来てからの三十二年で、一度も「ヨネカワコウリオン」って書いたことないのかも。僕はそんな想像を巡らせていた。それから、もしそうだったとした場合に窺える現在の父母の関係性に至った経緯にも勝手に想像力を働かせてはニヤニヤしていた。
実は僕は、父親の手書きの日本語の文字を見たのはこれが初めてだった。しっかりとした筆圧で、しかし不慣れな、どこか迷いのある、この「リヨンアズサ」という文字をとても愛しく思い、僕は待ちわびていたその段ボールをすぐに開梱することはせず、テーブルの上に置いて、父が書いたその伝票をしばらく眺めていた。僕が段ボールを開梱したのは翌朝だった。