SNSの発達による鑑賞環境の変化

 

どうもどうも、やあどうも。伯楽 -hakuraku- 言い出しっぺの仁田です。

ここ最近、更新を頑張っております。このホームページもそうだし、SNSでの投稿もかつてないほどの頻度で更新しています。といっても、日に一度か二度更新する程度なんですけどもね。先ほどもインスタグラムなるものを更新したんですけど、すぐに「いいね」がつきます。ありがたい限りなんですけどね。で、ここ最近、僕なりにSNSを本格的に活用していこうと試行錯誤してるんですけど、シンプルに疲れます。他にもいくつか違和感があります。

例えば、更新すると「いいね」の数を気にしてしまいます。自分の日常のつぶやきや、日常を切り取った写真につく「いいね」に、そんなに価値はないはずなんですけど、「いいね」の数がどうしても気になってしまうんですね。そんなの気にせず好きなことを垂れ流せばいいのかもしれないんですけど、なんかできないんですよ。

もう一つの違和感が、それはさっきインスタなるものを更新しても感じた違和感なんですけど、投稿して自転車に跨るまでの一分にも満たない時間に
「〜〜があなたの投稿に『いいね!』しました。」って表示されてるんですね。一件ちゃいますよ、数件来てますからね。
「みんなどんだけ張り付いてるん?!」
いや、僕、フォロワー300人くらいですからね。僕のフォロワーが30万人くらいおったらわかるんですけど、300人のフォロワーでこのレスポンス速度、やばくないですか。それだけインスタグラムというメディアのユーザーのアクティブ率が高いのと、「いいね!」がしやすいインターフェースを持っているということやと思います。プロダクトとして優れているということです。

でもですよ、自転車漕いでる時、
「こんな投稿に『いいね!』してずにテメェの人生生きな』
って投稿することばかり考えてました。寺山修二がこの時代にタイムスリップしたら
「スマホを捨てよ顔を上げよう」
言うてると思います。

僕らはどっぷりSNSに踊らされています。
「だから使わんほうがいい」とか啓蒙めいたことを言いたいんではなくて、SNSに踊らされてることを自覚したほうがいいよね、ってことが言いたいんやと思います。SNSはおもろい発明やし、便利やし、楽しい。けど疲れる側面もある。だからどこに疲れるのか明確にしておいたほうがいい、ってことやと思います。

俳優でも、何をするにしてもですけど、「発信」が簡単にできる、って言うのは間違いなく価値だと思います。それだけ、誰かに見てもらえる可能性があるから。多くの人に見てもらえると言うのは、そのぶん、活動や作品が批評の目に晒されて、広がる可能性が高くなりますから。

じゃあここで、「より多くの『いいね!』を獲得したものがより「いい」ものなのか」という問いにぶつかります。これ、絶対違うんですよ。フォロワーも、いいねの数も、その作品の良し悪しとあまり関係ないんですよ。限られた文脈の、限られた集団に、わかりやすく消費されるものに「いいね!」が与えられるだけなんです。それはそれで価値があるとは思うんですけど、消費の側面が強い。ツイッターで流れてくる猫の動画とか、赤ちゃん系の四コマとか永遠に見れますよね。そういう作品の価値を否定するつもりは全くないんですけど、映画館でスマホを使う若者が出てきて、ヤイヤイ言われてるように、「映画」のように2時間拘束して鑑賞する体験の価値がぼやけてきてるように思います。そのことに対して警笛は鳴らしていかんとな、と映画作りに携わる人間として思います。

「スマホを捨てよ映画館へ行こう」

ということで今日もなんとか宣伝に繋がりました。
今の時代だからこそ、スマホを置いて映画館で「映画」を体験してください。いや、僕らの映画を体験しに来てください。チケット申し込みはこちらです。

今日もここまで読んでいただいてありがとうございます。また明日ここで会いましょう。ではでは。

P.S
スマホを置いて、映画館に行くのはええけど、お前らの映画の面白さはどないなっとんねん、と思われた方は過去の
「ブレヒトmeets小津安二郎」とか
脚本の現フォーマットにおける問題点」などを読んで見てください。
おもろい映画作ってるんで。